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物語を創るTRPG ブログ 「GM編」(雨宮)


  1. G…M…ねぇ?
  2. 物語とはなんぞ?
  3. 物語における困難の克服

G…M…ねぇ?


GMというのは、一般的には、Game Master(ゲームマスター)の略であると言われています。
「game」は言うまでもなくゲーム、すなわちTRPG自体のことでしょう。

では、「master」とはなにか。
「master」の意味を辞書で調べると…

自由に駆使できる人、精通者、熟達者、所有者、主人、支配者、匠、君主、先生などいくつもの意味が並びますが、とにかく、「ゲームを自由にコントロールできる」「ゲームを支配する」「ゲームを巧みに作成する」のがGMである。

ということなのでしょう。

…無理無理。
いや確かに、そう思っていた時期が私にもありました。
ゲーム『マスター』。
明快な論理と練りこまれたシステム解釈、そして程よいウィットとアドリブで快刀乱麻のマスタリング。
プレイヤーの無茶や無駄に個性的な言動をばっさばっさとなぎ倒し、あらゆるシナリオを感動の結末に向かって一直線に収束させるゲームの達人にして支配者。

実際自分にも、PCに圧力をかけ、シナリオの軸となるレールに誘導し、ゲームを自分の用意した『正しい』結末に導くことだけに腐心することでゲームを支配しようとしていた時期がありました。
練りこまれてもいない雑なシナリオでいい加減なゲームを展開し、適当な笑いと雑談でその場しのぎの結末をつけ、PCが勝つ前提で作ったザコ能力の敵と戦闘させ、ダイスの目に大げさに一喜一憂して見せることでまるで何かすごいことでもやってるように取り繕う。そんな作業に『アドリブ』などという見当違いな看板を掲げ、熟練者のような顔で胸を張っていた時期もありました。
黒歴史ですね。

でもね。

幸か不幸か、あるメンバーとゲームをしたことで、知ってしまったんですよね。
シナリオに束縛されずに自由に動き回るキャラクターが、予定調和に満ちた架空の世界に与える多様性と深みを。
用意していたシナリオの結末がプレイヤーの機転や熱意で変化してゆく快感を。
敗北し、泥臭い道筋を辿っても、『自分たちなりの物語』を歩いてゆく登場人物たちの輝きを。

ひとりの頭から生まれた物語(シナリオやその解決法・結末)は、大抵、非常に整っていて、美しい流れを持っています。しかし、TRPGはひとりでやるゲームではありません。複数の参加者がいて、みんなが自分なりの物語を紡ぐからこそ、TRPGでは、ひとりの整えた予定調和に満ちる物語を超える、ある意味混沌とした、しかし、たくさんの色が絡み合った『世界にひとつだけの物語』が生まれる可能性を持つのではないかと思うのです。

それ以降、GMの仕事はコントロールや支配ではなく、土台作りだと考えるようになりました。
プレイヤーが活発に動き回ることの出来る舞台、すなわち世界を作る。
PCに当座の目的、つまり動機を与える。
そして、彼らの行動に対する公正な結果を与える。
GMの役割はこんなところだろうと。

「GM」。個人的には、「Game Manager」くらいでしっくりきますね。管理人。世話役。運営。

さて、まずは、「M」の持つ、余計な特権意識を捨てるところから。
理想とするのは、複数の価値観が絡み合って生まれる物語のタペストリ。

ということで、次回は、『物語とはなんぞ?』に突っ込んでみましょう。

物語とはなんぞ?

構造が複雑な現代の作品に比べて、古典は骨子が単純で類型化しやすいので、その辺から考えてみると良いかもしれないな、と、古典をダラダラ読み漁っていると、なんとなく、物語の類型はこの3つなんじゃないかなー、と、見えてくるものがあります。

  1. 困難の克服
  2. 超自然存在を語る

1.困難の克服

読んで字のごとくです。「困難」は、物理的なもの、精神的なもの、超自然的なものなど色々ですが、これを克服する過程を描く物語です。
『ギルガメシュの物語』、『エッダ』、『マハーバラタ』など、大きな物語はまずこれが大きな比重を持ちます。
もちろんそれだけではなく、友情や愛情、運命に対する賛歌や悲哀など、複数の要素を絡みますが、骨子は『人が困難を克服する姿』を描くことで物語としての姿を作るものです。
困難の性質が「人、精神」な場合は下記②の要素が絡み、「現象や事物」の場合は下記③の要素が絡むことが多くなります。

2.絆


友情、恋愛、性愛。肉体か精神かにかかわりなく、男女間に限らず、血の繋がりに関わらず、人数の制限もなしで、とにかく人と人との惹かれあいとまじわりを語る物語。
『金瓶梅』『アラビアンナイト』『バアル・アナト神話』など、話を盛り上げるために困難の克服や運命の悲劇などを絡めながら、それでも中心は恋愛・性愛である物語は多いはずです。
卑俗な例ではありますが、AVなどは「それしかない」のに十分に産業として成り立つわけで、恋愛・性愛がいかに人の中で大きなウェイトを占めるかがわかります。

3.超自然存在を語る

形のない神やイデア、形ある災害といった、人の力の及ばぬ概念や現象について、その存在への祈りやそれ自身の定義や影響などを語る物語です。
『リグ・ヴェーダ』『国家』『方丈記』など、第三者の視点で語られることが多いため、物語というイメージではないこともあります。
多くの「悲劇」は困難の克服や恋愛などを絡めていますが、最終的には「運命」という超自然の存在の大きさを語る物語なのではないかとおおいます。ちなみに、ホラーで主人公が死亡するような場合はここなんじゃないかと思っています。

物語というのは、究極的に上の3つの要素のうち1つでもあれば、成り立つのではないかと思っています。もちろん、2つを組み合わせたり、3つとも含ませたりしたものも多いでしょう。
GMとして、『物語を作る』下地の作業としてメインになるのは、もちろんシナリオを作る作業です。
つまり、シナリオに、上記3つをどのように盛り込むかをを考えることで、シナリオの『物語性』を強めていくことが出来るのではないでしょうか?

ということで、次回以降、これらをTRPGのシナリオに落とし込んだ場合についてひとつずつ考察してみたいと思います。
まずは次回、GM編③『物語における困難の克服』で。

物語における困難の克服

前回、物語の類型は

  1. 困難の克服
  2. 超自然存在を語る
の3つくらいなんじゃないかな?
という話になりました。

今回は、この1つ目、①困難の克服をゲームにおいて表現することについて考えたいと思います。
困難の克服とは、主人公が困難に直面したときの「緊張感」と、それに立ち向かう主人公の姿に対する「共感・高揚」、最後にそれを克服したときの「達成感」によって、それを追体験する読者や観客、そしてプレイヤーにカタルシスを与えるものです。性質上、主人公への感情移入が深くなるほど、感動も深くなりますね。

さて、ゲームで「困難の克服」を表現するためには?という議題ですが、実はこんなことは、ほぼ考える必要がない。
なぜなら、大体のゲームで大きなウェイトを占めるのが、謎解きや探索、戦闘であり、これはもう困難の克服以外の何者でもないからです。しかも、プレイヤーは主人公自身として困難に挑むわけで、感情移入も自然にできるます。
つまり、TRPGをプレイすればその時点で困難の克服は表現されているようなものですね。

ところが、プレイ後に達成感より徒労感を感じるTRPGというものも、ままあることなのです。
主にこれは2つの要因に拠ります。

まずは、困難の難度の問題

達成すべき困難が、あまりに簡単に達成できてしまったりすると、人はむしろ徒労感を感じるものです。これは、『当事者』として物語に参加するゲームではもちろん、『傍観者』として物語を眺める小説や漫画などでも発生する現象です。

主人公の前に強そうな敵が立ちふさがる。読者として緊張・興奮する。しかし、敵はなんだかびっくりするくらいあっけなく倒れ、肩透かしを食らった読者はなんだかモヤモヤした感覚に陥る。こんな経験はないですか?

敵をいかにも凶悪に、攻略不能に描写し、その上で主人公の「無双」によって爽快感を与える手法は確かにあります。しかし、この場合は、主人公の強さを「超自然」に設定しているのであり、「困難を克服する」姿によって感動を与えることを論じる今回のテーマからは外れます。

ゲームにおいて困難を克服する、というのは、主人公に苦難を与え、それを達成させることによってカタルシスを与えるものです。
とにかくまず、主人公は苦しまねばならないのです。

真相をに辿りつくために、仲間同士で繰り返し意見を交わし、何人もの登場人物から話を聞き、妨害や時間制限に頭を悩ませながら解き明かす謎。
ターンごとにすべき行動に悩み、敵の行動を予測して冷や汗をかき、一つ一つの行動結果に一喜一憂しながら敗北と隣りあわせで切り抜ける戦闘。
そういったものゲームにおける克服すべき「困難」です。

通常攻撃を繰り返していたら倒れる敵、小学生レベルのナゾナゾの謎解き、解決のヒントどころか事件の真相をポロポロと口走る登場人物。これらは、達成感ではなく徒労感を生むのです。

もちろん、難度が高すぎても問題はあります。

まず何より、時間がかかる。
謎解きにも手間がかかるでしょうし、戦闘は、ターン数は一概には言えなくとも、思考時間がとにかく長くなる。
時間に関しては、プレイ環境にも拠るので正解はありません。メンバーと話し合ってどのくらいの時間ならかけて良いのか、を考えてゆくしかありません。
しかし、今回に関してのみ、『物語』のためのTRPGをテーマにすえれば、時間がかかるのは致し方ない、と割り切るしかありません。時間の制約にとらわれすぎると、あらゆる面で『雑』になります。
描写はいい加減になり、ストーリーは単調になります。ならざるを得ません。これでは残念ながら『物語』は作れません。

また、困難の達成そのものが出来なかった場合、もちろん達成感は得にくいでしょう。
ですが、「全く手も足も出ずに終わった」でない限り、一定の達成感はあるはずです。
「惜敗」なら正直全く問題ない。プレイヤーは、もう少し頑張れば達成できた、という足がかりを得て、更なる緊張感のあるエキサイティングなゲームを展開してくれるはずです。
「敗北」は、「失敗した物語」ではなく、「次の勝利に繋がる物語」なのです。

つまり、困難の難度は、「ちょっと高いくらいでちょうど良い」のが、『物語式』ということになるでしょう。

さて2つ目は、功績配分の問題

これは、大変さじ加減の難しい話で、特に、物語の要素②の「絆」と微妙な絡みを見せるのですが、つまり、謎解きや戦闘にNPCが活躍しすぎるとプレイヤーはどう思うのか、という問題です。

ある程度魅力的なNPCを登場させようとすると、やはりストーリーの中で活躍させたくなります。簡単なのは、謎や戦闘のうち、一部分にPCには手の出ない場所を作り、そこをNPCに担当させる方法です。謎解きなら、暗号の一部は特殊な知識を持つNPCにしか読めないものにしたり、戦闘なら、ある強敵一体をNPCの担当にさせる、などですね。
しかし、その問題を、プレイヤーが解決すべきと彼ら自身が認識してしまった場合、PCがいくら苦労しても解けなかった謎をNPCに解かれてガッカリ、になったり、PCは戦闘ではザコ掃除係で、強敵との見せ場はNPCを観戦するだけで他人事気分、なんてことにもなるのです。
もちろん、プレイヤーが、そこを割り切って、困難はNPCの力も借りて解決するものだ、と考えてくれことも多いでしょう。しかし、それと、プレイヤーの感じる達成感はやはり別で、どこか物足りなさを感じさせてしまうことも多いのです。

この問題の解決策に、これだ!というものはありません。
『達成感』に対する感覚は個人によって大きく異なるからです。
メンバーの感情を機敏に察しながら調整してゆくしかないでしょう。

書いててなんですけど、『かくも険しいGM編』って感じですね。
難しいが難しすぎない謎を作れ、とか、プレイヤーの感情の機敏に察しろ、とか(笑)。
…まあ、まずは理想を語りましょう。
理想の姿を想像して、そこを目指さないと進歩はないですしね。

さてでは、次回のテーマはGM編④『物語における絆』。
今回語りきれなかったNPCの問題について突っ込んでみたいと思います。

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